フォトTEE

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もう夏も終わる(終わった?)けど、自分で撮った写真でフォトTEEをつくってみた。

 

世にフォトTEEはたくさんあって、訳わからんものから著名な写真家が撮った崇高な1枚までピンキリだけど、自分がその写真をわざわざ着る理由が見つかるものは少ない。

いくら有名な人の手によるめちゃくちゃかっこいい写真がめちゃくちゃかっこいい配置で完璧にプリントされたものだとしても。

 

それでも今年は、春にGRAPH PAPERでJacques Bourboulonの写真が入ったTシャツを買い、それがとても久々なフォトTEEだった、けども結局写真が気に入っていた結果額装され夏の間も着られることはなく。

 

その点、自分で撮った写真を着るのは余計な力が入らなくて良い。

写真が写真として優れているかとか絶妙な配置になっているかはこの際どうでもよく、自分がいまの景色をちょっと撮っといてみるか。と決めて撮ったものを使うという、自分が着ることに必然性しかないシンプルな出生事情に安心できる。

 

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というのも。

 

服屋で働かせてもらって服と着こなしに真摯すぎる人たちに出会ってから、自分がそれを着る必然性が乏しいものを着ることができなくなり。

 

自分の基本スタンスはファッションに正解はなし不正解もなし、好きなものを好きなように着て自分が良ければそれで良し。だったけど、歴史を学び、先人たちの着こなしに学び、幾多のルールを学び、作り手の本気を学び、尊敬の念を持って服を楽しむ人たちを身近でたくさん見てしまったせいで、服に対してのモチベーションがおそらく彼らより高くなかった自分はまあまあ苦しんだし困ったし

 

彼らの言うことやひた向きさには心底感服していたので、自分も曖昧な気持ちで誰かが丹精込めて作ったり長い歴史を背負ってたり裏にカルチャーがぎっしり詰まってたりするものを着たり使うのはどこかしらへの冒涜だったりするのではという恐れに取り憑かれ。

 

それからというもの、自分の背景と同一線上のカルチャーから生まれたもの、本当に自分が好きだと言えてそこそこ掘り下げたもの、友達が作ったものや友達から買ったもの、そして自分で手を加えたか作ったもの、しか身につけることができず。

 

 

だからこの夏も例年に負けず劣らずTシャツばかり着た夏だったけど、いよいよ子どもの頃から好きなBIRDWELLか、作り手と話ができるPark DeliかCYCLE ZOMBIESか、自分がデザインした八左衛門パクチーのやつか、もしくは自分がささっと描いた絵がプリントされたやつか、上記のフォトTEEか、くらいしかほとんど着てない。

まさか夏になっても自分の出番がないとは想像だにしていなかったかわいそうなクローゼットの中のTシャツが今季はいっぱいいただろうな。

 

 

という所以があるので、このフォトTEEは気に入ってるし人にもすすめたい。

正確には、この写真をプリントするんじゃなくても良くて、例えば、この夏に撮らせてもらったサーフィン姿の写真をTシャツを、そのサーフィン姿の本人にお渡しする準備をしてたりする。自分が撮った写真に自分以外の人にとっての美的価値があるとは別に思わないけど、そういうことならその人にとっちゃ価値あるでしょう。

 

いつか誰かのお店でPOP UPをやらせてもらおう。そのときはよろしくお願いします!

 

 

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